青春時代

今は旦那氏の会社で働いて、勤続20年に届こうかというところですが

結婚前は、某鉄道会社のバス事業本部で働いていました。

いわゆる「バスガイド」です。

私は、北は北海道、南は九州まで行きました。

その頃は、バブルと言われる時代だったので

現地まで自社バスでツアーを企画したものが、たくさんありました。

北海道や九州にフェリーでバスを運んだのです。

まだまだアナログに力があった時代でしたね。

今なら現地にバスを運ぶよりも、コスト面でも現地でバスを手配した方が良いに決まっています。

でもその頃は、遠い北海道や九州に自社バスを走らせるステータスのようなものもありました。

本社はどう考えているか分かりませんが

少なくとも私たち乗務員は、多少なりとも誇らしく思っていました。

どんな生活?

私たちガイドは基本、寮生活です。

朝が早いし、ガイドは若い女の子たちなので徹底した管理はされていました。

もちろん女子寮。

ちゃんと寮長さん一家が一緒に住んでいて、きちんと管理してくれています。

門限は9時と決まっていて、仕事以外の門限やぶりは厳禁でした。

寮は営業所(バスの車庫でもある)の敷地内にあるので、部外者は入れないようになっています。

そういう意味では、寮生活も安心して過ごせました。

でも、ひと月のうちに半分は泊りがけの仕事でいなかったですけどね。

だいたい一泊旅行が多いので、一泊から戻ってまた一泊というのが当たり前でした。

大型ツアーになると3泊4日、林間学校などは2泊3日というのもありましたね。

当時は日帰りというのは、春の学校関係の遠足くらいでしたので、ほぼ泊まりの仕事でした。

ですから、同じ寮にいるのにガイド仲間と「久しぶり~」って挨拶は普通にありました。

運転手さんはランクあり

実は運転手さんには年功序列の、厳しいランクがありました。

経験の長い運転手さん(無事故無違反)は、最新のバスに乗れます。

それは担当が決まってしまうので、事実上「マイバス」になります。

ですから本当に丁寧にキレイに、我が子のように扱っていますした。

型の古いバスは、観光バスに上がれたばかりの新人運転手さんです。

「いつか自分も良いバスに乗る」ことを目指して頑張ります。

今はどうなのか分かりませんが、当時は観光バスの運転手はバス業務の中でも花形でした。

ですから路線バスの運転手をしながら、観光バスの業務に移るのを希望する運転手さんは結構いました。

冬場は、自分を売り込むチャンスがありました。

夜行スキーの運転手です。

基本、観光バスの運転手さんがやりますが、夜行業務は真夜中の運転になるので、交代運転手が必要になります。

一台のバスに2人の運転手を使わなければならないので、人手が足りなくなります。

そこで路線バスの運転手さんから、希望者が募られるんです。

観光バスの運転手を目指す人は、希望してきます。

そこでベテラン運転手さんに、腕を認められれば観光バス業務に上がれます。

そこからもまだまだ大変です。

型の古いバスに乗るということは、ツアーや温泉一泊なんて仕事はまず無いです。

遠足や温泉地の送迎・スキー夜行が専門になります。

1~2年は、そんな感じですね。

ほんとに時々、先輩運転手さんが休暇を取ると、そのバスでの仕事が回ってきたりします。

そういう時は本当にうれしそうです。

年下の私たちガイドが、いろいろ教えたりしてホント新鮮です。

心から「頑張って、良いバスに乗れるといいね。」と思います。

観光バスの裏話・・・またお話ししますね。

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