わたしの元

プロフィールにも書きましたが、私の母は60歳で他界しています。

病気でしたが、60歳は早いですよね。

実は、父と母は私が生後8ヶ月のときに離婚し、私は父に引き取られています。

離婚の理由も何も、父からは聞いていないので事情は全く分かりません。

写真もなかったので、母の顔も知りませんでした。

その後、紆余曲折ありましたが、私も大人になり旦那氏と結婚しました。

そして数年後、私の妹と名乗る女性から電話がありました。

母の訃報でした。

全く交流がなかったのですが、訃報を聞いて後悔と慕情の感情が入り乱れてただただ涙。

そして後日、母の仏前に行き驚きました。

遺影の中で微笑む女性は、私にそっくりだったのです。

妹や母の兄弟(叔父にあたる方)が、私を見て息をのむはずです。

それほどまでに、よく似ていました。

母への思い

私たち母子は、お互いに逢おうというアクションは一切起こしませんでした。

私が3歳のときに父が再婚し、私にとっての養母ができたからというのも理由の一つです。

世間でよくある話しで、私と養母は上手くいきませんでした。

でも、生みの母に会うことは父に対しても養母に対しても

裏切りになるような気がして、やってはいけないと思っていました。

旦那氏は私と結婚するときに

「お母さんを探して、結婚を報告しよう。」と言ってくれました。

「いいよ・・・。」

「なんで?絶対見つけられるよ。」

旦那氏の言葉はありがたくて、心に沁みこみました。

でも私は、探さなくていいと言いました。

「会う気がお母さんにあれば、向こうから少なからずアクションがあったはずだよ。

それがないんだから、会う気がないんだよ。

それに探して会いたいって言って、拒絶されたら私、立ち直れないよ。」

私がそういうと旦那氏はツラそうな顔をしていました。

そして数年後、母の訃報を聞き後悔することになりました。

妹(異父きょうだい)から聞いた話で、一層後悔することになりました。

「お母さんは、お姉さんの話しをよくしてくれたよ。

どうしてるかな~?ってよく言ってた。

私が生まれる前だから、わざわざ子供がいる話しなんてしなくていいって思うのに

もう、いくつになったはずだって。」

それを聞いた時、同じ思いだったんだって思いました。

お互いに見当違いに、相手を思いやっていたんですね。

本当に後悔しました。

でも、もう時間は戻せません。

遺影に向かって「お母さん」と言うのが精一杯でした。

後悔

この頃、旦那氏の父(義父)母(義母)は亡くなっていて

悲しみから立ち直りつつある頃でした。

旦那氏のお母さん(義母)は、優しい人で私を可愛がってくれました。

私は義母から、母というものを教えてもらったのです。

本当に慈悲のある人でした。

義母から10年前に義父は亡くなっていたので、この頃は寂しかったですね。

それでも時々、夢に見たりしていました。

懐かしい声、しぐさ・・目が覚めてからも、頭に残り家族に話したりしました。

そんな時に、母の訃報。

体の調子も悪い日が多くなりました。

でも、家族が支えてくれたので何とか乗り切れたのです。

そんなある日、その日もぼんやりと母のことを考えていました。

「会いに行けばよかった。いや・・これしかできなかった。」

そんなどうしようもないことを、グルグルと考えていました。

そして、ふと思いました。

「夢で逢いたい。夢なら逢える。」

私はそれを心待ちにしました。

だって、義父も義母も叔父だって夢で逢えたんですから。

ところが・・・夢を見ることは一度もありません。

今現在もありません。

別れたとき生後8か月の私は、母を覚えることが出来なかったのでしょうか?

覚えていないことを、夢で見ることは出来ないのでしょうか?

私は再び、深い後悔に襲われました。

生きていく

母が亡くなって14年が経ちました。

そして私の父も、母が亡くなって10年後に亡くなりました。

父は亡くなって、すぐに私の夢に出てきてくれました。

でも母は、未だに夢を見ることは出来ていません。

寂しいな・・と思うこともありますが、前ほど落ち込むことはなくなりました。

時間が心を癒してくれた?

それもありますね。

いちばんは旦那氏の言葉ですね。

「これからはオレとお前の家族を作るんだ。」

どうにもできなかった頃を嘆いて、家族を追い求めても何も変わらない。

でも私は生きていて、家族を作ることが出来る。

やがて行くあっちの世界で、母に逢えればそれでいい。

それまで命いっぱい生きていこう!

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