3回にわたって何故「いじめ」に合い、苦登校になったのか、ふり返ってみました。
過ぎたこととはいえ、思い出して書き起こしていくと、まだツラくなります。
でも、今現在ツラい思いをしている方がいるはずです。
今回は、少しでも力になれば良いな・・・という思いから、高校進学に向けて何をしてきたのか、今の学校の実態と限界を書いています。
何を失ったのか
教室に入れなくなった娘はまず、「授業が受けられない」という壁がありました。
相談室は避難場所なので、そこでは担当の教諭(オープンサポーター)はいますが、教科を教えることはしません。
生徒は自主性を持って、自ら勉強をするだけです。
ですから、勉強しない選択もできるのです。
もちろんオープンサポーターの先生や、それぞれの生徒の担任、教頭など相談室の生徒に声掛けはしています。
ですが・・・生徒のやる気に任せているのは明らかです。
ここで「授業が受けられないので、勉強が遅れる。」ということになります。
そして最も私が恐ろしいと思ったのは
「評定が下がる。または、付かないということ。」
授業に出ない→評価ができない(出席していても授業妨害すれば同じ)→評定は1か2
このようにチャート式のように決まっているようです。
提出物をきちんと提出しても、テストでいい点を取っても、この評価は変わらないのです。
この時点で私たち親子は、高校進学に絶望しました。
受けたかった公立高校は、受験資格がなくなり選択肢は圧倒的に狭くなりました。
そしてこの頃から、娘は適応障害と不眠、抜毛症に悩ませられます。
毎日の送迎でなんとか出席日数は落とさず行っていましたが、進学に希望が持てない状態に、怒りと悲しみがないまぜになった強い理不尽さを感じていました。
交渉
「嘆いていても何も始まらない」
そう思ったので、何とか授業日数を取れる方法がないか学校側に相談しました。
わがままを承知で「教室には入れない。でも、授業は受けたい。」そう伝えると
「7組の授業に参加すれば、授業を受けたことにしましょう。」
と提案され、これをお願いすることになりました。
しかし・・7組はいわゆる特殊学級と言われる学級で、普通教室での授業とはかけ離れてしまっていました。
でも、このクラスの子たちは、とてもいい子ばかりで娘は友達もできました。
けっきょく通ってはいましたが、中間テストや期末テストなどの対策には全くならず、個人で教科の先生に進捗を伺いに行ったり、プリントをもらいに行ったりしていました。
それでも授業を受けていなければ、分からないことがたくさんありました。
塾にも行っていましたが、全てを補うことは出来ませんでした。
少しづつ
何度も心が折れましたが、学校にだけは行きました。
そんな頑張りが、他の先生方に通じていき、たくさんの先生が力を貸してくださるようになりました。
時間外でもマンツーマンで授業をしてくださる先生。
娘の移動中に廊下でバッタリクラスの移動とぶつかると、顔を合わせないようにサポートしてくれる先生。
相談室まで給食を届けてくれる先生。
成績表をテストの点で評価してくださる先生。
教頭先生、図書室の先生、保健室の先生、スクールカウンセラーの先生、オープンサポーターの先生。
本当に娘の周りが変化していきました。
その中でも始めから支えになってくれていたのは、教頭先生とオープンサポーターの先生でした。
とくにオープンサポーターの先生のことは娘が「学校でのお母さん」と称するほど信頼していました。
(幼稚園に通うひとり息子のママで、本当は若い先生です。)
こうした支えもあり出席だけは確保しながら、綱渡り状態で授業を受け体調も一進一退を繰り返しながら3年生になりました。
最初に起きること
順を追ってみましょう
学校に行けなくなると
- 相談室など別室登校を提案される
メリット
- 遅刻・早退がなく登下校時間を自分で決められる。
- 時間はかかるが気持ちの整理はつけられる。
- 不登校ではない・・という安心感はある。
デメリット
- 避難場所という定義なので、授業を受けられない。
- 自主性がないと継続が難しい。
- 勉強に関することは、すべて自分で交渉しなくてはならない。
別室登校になると
- 個室になるので、他生徒から保護される。
メリット
- 時間を好きに使える。
- 先生方と密に付き合える。
- 行事の参加・不参加を自分で決められる。
デメリット
- クラスでの授業を受けられないので、評定対象外になる。
- 授業を受けるためには、自分で先生に交渉する。
- 勉強は確実に遅れる。
まとめ
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。
ただ疑問を持たれた方もいらっしゃると思います。
いじめに合い、適応障害・不眠・抜毛症になったのに、勉強のことばかりで心のケアをしていないんじゃないのか。
まずは学校を休ませて、体と心のケアが優先じゃないのか。
それは当時の校長にも言われました。
「お母さん一番優先するのは、お子さんの心ですよ。」と。
そんなことは分かっているんです。
では十分に休ませるとは、どういうことなのでしょう?
「登校しなくて良いよ。休んで良いんだよ。」
どこまで?(子供が回復するまで)
回復したらどうするの?(やれることから、やってみよう)
失った時間はどうするの?(これから取り戻せるよ)
私から見たら完全に他人事です。
こんな無責任なことありますか?
イヤな目に合いそこを離れて不登校になって、子どもは救われますか?
不登校になったことで、自分を責めるに違いないんです。
そして時間の流れに焦り、何もできない自分を責め疲弊するのです。
ご指摘はあるかもしれませんが、私はこれだけは回避したかったのです。
これで子供が自分の価値を下げて苦しむことだけは避けたかったのです。
時間は取り戻せない。
とくに受験期はパスはできない。
今回は最初の一歩です。
次回は、少し別室になれてきた話しです。
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